社長の一枚
~「Purpose・存在意義」の大切さ~



写真は渋沢栄一とJR飯山線。これらがPurposeとどのような関係にあるのか?2021年は「渋沢栄一の年」と言えるほど、渋沢栄一が登場しない日はありませんでした。 日本資本主義の父と言われる渋沢栄一と飯山線。深い関係があります。

飯山線は長野市豊野駅から県北部を通り新潟県越後川口駅まで結ぶローカル線です。昭和の初めに私鉄として開通し、地域振興の為に国有鉄道への買収を支援したのが当時鉄道院の課長だった五島慶太と言われています。

このことは現在の北陸新幹線飯山駅に「五島慶太翁の碑」としてその謂れが記されています。五島慶太翁は東急グループの実質的な創業者として、グループの基礎を作りました。 東急グループは街づくりの企業集団です。その街づくりのきっかけが渋沢栄一でした。五島慶太翁の自叙伝「七十年の人生」には次の記載があります。

『商業会議所の親方である渋沢栄一氏がアメリカに行って帰って来て「田園都市と言うものを作ったらおもしろい。こんな狭い、薄暗い都会に住んでいるよりも、住宅地と商業地を分け、住宅地を郊外につくって、そこから通勤して、商業するようなふうに仕向けて行こうぢゃないか」』
街づくりの為に五島慶太翁は、目蒲線と東横線の敷設から始めました。
この渋沢栄一の田園都市構想を実現したのが五島慶太翁であり、その代表的な街が田園調布です。こうして東急グループは街づくりの企業集団として発展してきました。

東急ジオックスはこの街づくりの中で、その基礎となる砂利を主たる事業として第二次世界大戦後に発足しました。当社は街づくりの中での役割を砂利でスタートし、現在はその事業領域を広げ、建設資材、建設請負、建設残土と建設系の多くの事業へと発展しました。

「Purpose・存在意義」という言葉はコロナ禍に改めて多くの企業が問われています。企業は単に利潤追求のみが目的ではありません。その存在意義が重要になります。

東急グループは街づくりの企業集団として成長しました。その建設資材分野を担うため当社は戦後東急砂利として発足し、戦後日本の再興の基礎となった砂利を供給し、事業分野を広げ、現在の東急ジオックスに至ります。渋沢栄一は日本発展の為、日本型資本主義を興し、五島慶太翁は街づくりを標榜し東急グループを作り上げた。
変化に翻弄される現代にあって、企業には改めてその存在意義が問われています。

東急ジオックス株式会社

TOP